*ちょっとねじ曲がったアリババくん
*これでも幸せな二人








「ジャーファルさん?」
乾いたような声が静かな廊下に浸透する。喉元に暗器を突き付けられ、動けないでいるアリババをジャーファルは鋭い目で射抜いた。
「もう演技は良いです」
どうぞ普通になさって下さい。単調に放られた言葉にアリババは一度目を見開いてから面白くなさそうに息を吐いた。まん丸い瞳をゆるく細める姿に己の導き出した答えは正しかったとジャーファルは確信を得る。
「いつから気づいてました?」
俺結構自信あったんですけど。どこか残念そうに笑うアリババにジャーファルはつい最近だと口にする。
(本当に大変素晴らしい仮面をお持ちのようで)
「随分上手に作っていましたね」
「処世術の一つというか…まあ、俺にとっては息をするのと同じくらい自然なことなんで」
もはや作るなんて言葉が失礼だと感じる程にアリババはいつもと変わらない表情で、されどどこか冷えた瞳でジャーファルを見据える。これがこの子の素の表情か?いいやそれすら分からない。ジャーファルは背に薄らと厭な汗をかく。
「もしかしてシンドバッドさんも気づいてますか?」
「…いえ、恐らくシンはまだ」
「ああそうですか」
本当にジャーファルさんは優秀なんですね。尊敬します。ニコリニコリと口角を上げるアリババに対して得体の知れないものが這い上がってくる感覚をジャーファルは覚えた。
「それならジャーファルさんにお願いがあるんですけど」
このこと黙っててもらえますか。
「それを私が承諾すると?」
「はい。だってメリットもデメリットも特に存在しないじゃないですか」
俺が例えどんな俺であれ、何かをしてもいないしするつもりも無いのにそれをどうこうと騒ぎ立ててどうするんですか?
「そもそも人間なんて作る生き物じゃないですか」
ジャーファルさんだって常は優しく賢い政務官でいらっしゃる。ねえ今のあなたは?どうなんですか、ねえ。
「そんなに怖い顔しないで下さいよ」
「させているのは誰ですか」
「俺ですね、すみません。こんな俺はお嫌いですか?」
普段のああいうような俺が好みですか?
「…何を」
「だってジャーファルさん、俺のこと好きでしょう?」
グラリ、腹の奥で揺らぎ沸くようなソレ。
(いつも可愛がって下さってありがとうございます)
「ねえジャーファルさん、俺も好きですよあなたのこと。今幸せじゃないですか。わざわざ水を差すようなそんな無粋なことしなくても良いじゃないですか」
そうでしょうジャーファルさん俺何か間違ったこと言ってますか。
「…何故そんな演技など」
いいや先ず何故もっと生きるのに楽な人格を選ばなかった。処世術だと言うソレ。しかし常の彼は慕われ愛される美しい子どもだが、死を呼び込む才すら持つようで。
「ええ?」
それを問うた途端にくすくすと心底可笑しそうに笑い出したアリババは、ひとしきり身体を震わせた後に唇を開いた。
「そっちの方が面白そうだったからですよ」
決まってるじゃないですか。今の世の中、無償だとばかりに自覚無く人のためだと動くなんて…嗚呼だってとても面白いとは思いませんか。それにそうした出来上がった人格で出会った人には最後までそんな自分を貫き通す主義なので。
「ジャーファルさんにはバレてしまいましたけど」
まあそれも仕方ないですね。だってジャーファルさんですから。
「がっかりしました?」
「がっかりも何も……いえ、そうですね。そうかもしれません」
蜂蜜と陽光を溶かしたような王子さま。脆くも強い、王の器と称されし少年。そんな彼を自分はきっと口にせずとも気に入っていた。ジャーファルはフッと睫毛を伏せ、目蓋の裏にキラキラとした金色の世界を描いた。
「ええ確かに私は“アリババくん”のことを大変に好いていますよ」
殊更に強く言った訳では無い。けれど言葉の裏に潜む毒にアリババは小さく笑った。
「ジャーファルさんは俺の生い立ちを知ってますよね」  
どんな人生だったか知っていますよね?知識としてだけでもきっとご存知ですよね。ねえだったら、
「そんな世界を生きた子どもが綺麗なままだなんて」
(そんなの)

「幻想ですよ」

ただの夢物語だ。そんな話は余所でしてくれ。
「望まれるような“アリババくん”なんて、どこにもいないんです」
いないんですよ。
純粋で
美しく
汚れない
子ども、
「ジャーファルさんだって知ってるくせに」
あなた自身が一番よく分かってるんじゃないですか。あなたご自身の過去は、幼き頃よりの現実は、
「ジャーファルさんの世界だってあなたに優しいばかりでは無かったでしょう?」
無意識に力の入った腕は暗器を僅かに震わせ、ぷつりとアリババの首に細い血の筋を作った。しかし騒ぐでも怯えるでもなく、アリババはどこか憐れみを含んだ眼でジャーファルを見つめる。
「でも、だからこそ…俺は嬉しいですよ」
あなただけに見つけてもらえる幸せを。あなただけが見つけられる俺であれることが。
(ああなんて幸せ)
「アリババくんはそれで良いんですか」
これからもずっと。
(苦しくはないのか)
「そうでなくちゃいけないんです」
いけないんですよ。淡々としたその一言に全てが集約されていて。なる程わかりました、ならば私はそんな君を、
「…もう間もなく日が落ちます」
夕餉の刻に入る色。ジャーファルはゆるりと手にしていた暗器を下げ、先に戻りますと踵を返した。
「君にもう求めることはしません」
追い求め映していた夢幻はもう必要なんてない。
「アリババくん、私は君がどんな君であろうと然して興味はありません」
問題なのはこの国や人々に対してどう在るか…それだけだ。
「どうぞお好きなように」
これからもどうぞ君のお気に召すまま。
「…俺、ジャーファルさんのそういうところ好きです」
「光栄ですね。私もアリババくんのことが好きですよ」
にこやかに別れ去る二人の影はやがて落ちる陽と共に暗くも繋がり塗りつぶされた。



(そう、)
(ええ、)
((好きですとも))